小学生

【発達障害】ADHD児の嘘を見抜く方法はあるのか~宿題を捨て続けて農家が大激怒事件~

こんばんは、つばきです。

行事や体調不良でなかなか更新できませんが、日々、いろんなことが相変わらずあります。
6年生になり、手がかからなくなったと言ってもこれだけ毎日色んなことがあって、思いがあります。
まだ幼児の子どもや、就学前、小学生になったばかりのママは本当に大変だし、不安だらけだと改めて思います。

今日はそんな時期に、わたしが体験した息子の嘘が元の事件についてまたまた書きます。
児童相談所の方や警察官まで我が家に来た息子の嘘の話はこちらです。
良かったら読んでみてください。

・嘘とわかっているけどどうにもならない時はどうすればいいのか

・地域に迷惑をかけたときの親のあるべき態度

・疲れたときは現実逃避してもいいということ

この先も大小関わらず悩み続けるのか、タイミング良くなくなるのか、先のことはわかりませんよね。
こんな悩みや気持ちがある人に読んで欲しいと思います。

似たような体験をした人の話はけっこう聞きますが、結果、ここまで他人様に迷惑をかける羽目になった話はなかなか聞きません。

これを読んで、自分の子どもも本当に大変と共感してくださっても嬉しいし、うちの方がましだって心を軽くしてくださってもいいです。
とにかく、ママだけ、家庭だけで抱え込んでいる人たちが少しでも気持ちが軽くなればいいなって思って始めたブログです。
こんなことあるんだな、という人も良かったら読んでくださいね。

毎日宿題は学校で終わらせたと言い出す

発達障害ある息子は三男です。
長男が2歳年上に同じ小学校に通っていますから、その学年でやることや宿題のことはよくわかっていました。

2年生のある日から、三男のクラスは「宿題なし」が続きました。

2年生って九九カード暗記の年なんですよね。
ああいうのは毎日出る宿題だし、音読も絶対。
九九カード・音読チェック表があって、親は毎日「聞きました」サインをするんです。
たぶん、皆さんもそうですよね?

この宿題がデフォで、プラス漢字ノートや算数プリントが決まりの形でした。
学年で統一されるので、遅い速いはあっても次男と同じ宿題なんです。
宿題なしの日はあるにはありますが、学期に1回あるかないか、です。

ある日から三男は「今日は頑張ったから宿題なし!」と言い出しました。
その日は本当に宿題が学年全体でありませんでした。
確か学習発表会か何かの日で、作文だけ宿題でしたが、学校で仕上がった子は宿題なし状態になったんです。
次男はあと数行という状態で持ち帰ってきたんで、三男が書ききったというのは嘘でもないんだろうと思いました。

「たまにはいいね!良かったやん」

笑顔で答えたのが良くなかったのかもしれません。

宿題プリントやドリルが消えていく

これで味をしめたのか、「宿題やってきた」「九九合格した子は九九カードがない」「今日は頑張ったから音読はない」という具合にどんどん宿題が減り始めました。
連絡帳チェックはもちろんしますが、宿題は書かれています。
1つ1つ「これはこうだからない」と説明。
例えば算数プリントは「4時間目にやってしまったから提出した」とか「漢字練習は早めに書けたからないよ」とか。
それらしいことを言うのです。

2年生がそこまで手の込んだことしないかな?

最初の1週間は半信半疑で言い分を聞いてましたが、2週目からはもうまるっきり宿題がないと言い張ります。
プリントも本当に連絡袋にないんです。

ここで、言い訳をすると、わたしは持病があるため通院をしています。
5時間目が終わるまでに混んでいると帰れないことがあり、それはもう長男がしっかりわかっていたんで、わたしが帰宅するまでに「宿題・お着替え」を終えるように言ってありました。
それが当たり前の習慣になっていたんで、病院から帰宅すると、お着替えも宿題も終わっていることが大半でした。

もっと早くにしっかりチェックしておけば良かったんですが、3人とも「宿題も時間割もした!」と言うから「おつかれ~」とのんきでした・・・

3週目に入る頃、担任の先生から連絡がありました。

「宿題を全然してこないからスラスラ言えた九々が全く言えなくなって勉強がめちゃくちゃですよ!!」

わたしは、事情を話しました。
ほぼ毎日プリントを渡していること、学校にそのプリントはないので家のどこかにあるはずだと言うことでした。
大捜索をしましたが、プリントはありません。

ゴミの日に捨ててたのか??

これだけ探してないならそれ以外考えられません。
2年生で宿題を捨てて、親に嘘をついて、挙句スラスラ言えてた九々がわからなくなって、授業中にずっと泣いていると聞いて呆然としました。

宿題プリントの行方がわからない

先生も怒り、問い詰めてくださいましたが、泣くばかりで話が進まないと。
緊急家庭訪問になり、再度みんなで宿題プリントを探すもやっぱりありません。
三男はその時も泣いていました。

わたしが泣きたいし、めちゃくちゃ腹が立ちました。

長男は留守番を任されてることもあり、泣くばかりの三男にわたし達以上に怒りました。

「お母さんが通院しているときに嘘をつかれたら、そこまでぼくは見張れない!」

そして、泣いてないで早く出せとも言いましたが、首を振るだけで、プリントなんて出てきませんでした。

翌日から宿題は学校でやらせないことや、プリントだと捨てる可能性があるんで授業でしていた算数ドリルを宿題にしてプリントを授業中にするようにしてくださいました。
内容は同じだから、どっちでもいい、と。

それよりちゃんと宿題をする習慣学習の遅れをなんとかしないといけないって話をしてくださいました。

算数ドリルも持ち帰らない

宿題をやらずにきた数週間が身についたのか、宿題はない!と頑なで、息を吐くように嘘を言っている、とようやくわかりました。
子どもにこの表現を使わないといけないのか・・・と思うと本当に腹立たしさと虚しさと悲しさしかなかったです。
何をどういっても「宿題はない!ドリルもない!」と言います。

何度も学校へ連れていき、机に置いてきたドリルを持ち帰らせてやらせる日が続きました。

この時期は学習障害がそこまで顕著(けんちょ)ではなかったこともあり、特別支援学級からの宿題は九々の100ます計算中心で、それも九九カードを読まないから全部適当に数字を書いていました。

普通クラス宿題→意地でもあることを認めない
特別支援学級の宿題→適当に埋めるだけ

この時期は毎日大戦争でした。
もうずっと怒鳴ったり泣いたりしてました(わたしも三男も)

算数ドリルもついになくなってしまう

もちろん夫は黙ってはいません。
この時期は手もあげていました。

虐待ととられるかもしれませんが、ウソをついて当たり前状態で嘘を嘘と認めない宿題はやらない、勉強はわからない。
今までのプリントは行方不明のまま
ドリル系は毎日持ち帰らない(先生がランドセルに入れたのを確認して「さようなら」をした後わざわざ出してました)
だから、毎日わたしと学校に取りに行っては癇癪を起こす。

けっこう限界でした。

夫が仕事を抜けて宿題タイムに帰ってくるようになっても、三男は泣くばかりでした。
その日も算数ドリルを持ち帰らないので、夫が三男を連れ学校に行きました。
先生から散々注意され、時には学校でやらされることもありましたが、1時間ちょっとすれば帰ってくるのに2時間、3時間経過しても帰ってきません。

心配になり学校に電話をしたら、担任の先生が、

「いま、算数ドリルを探しています。机にもロッカーにも教室のゴミ箱にもありません。学校内を先生方に探してもらっていてお父さんと三男くんは通学路を歩いているはずです。わたしは、クラスの子どもに三男くんのドリルを間違って持ち帰っていないか確認の電話をしていたところでした。」

先生もあれから日課のようになった宿題忘れや適当に書きなぐって持ってくることへの指導に疲れ切った様子でした。
特別支援学級の先生と電話を代わってもらい、学校での話や勉強の遅れ具合を改めて聞くともう九々はほとんどできないし、漢字もめちゃくちゃ、支援児は三男だけではないので行き届かないことを謝罪されました。

本当に情けないって思いました。
これが継母の感情なのか何なのか考える余裕もないくらい疲れていました。
そして本当にもう学校に顔を出す事すらイヤだと思っていました。

三男、通報される

今までのプリントや算数ドリルを見つけたのは、通学路中にある一軒のお家のおじいさんでした。
小学校と警察に通報されていました。

三男はプリントや算数ドリル、その他都合の悪いものは全部通学路途中にある小川?ザリガニがいるような細い川のようなところがあるんです。
そこに捨てていたようで、その行きつく先は「田んぼ」だったんです。
農家のおじいさんの田んぼの用水路に繋がる場所に、プリントやドリルを捨てていたので、ちょうど田んぼに水入れの時期に用水路がプリント類でせき止められた状態になり、大変ご立腹でした。

今年の分だけと思ってましたが、去年から都合悪いものは捨てていたみたいで、少しですが1年生のときのものも含まれてました。

積もり積もって、田んぼに水が回らないくらいになるまで三男のプリントなどはそこに溜まってぐちゃぐちゃのドロドロになっていました。
通学路にあるコンビニのゴミ箱や、道々にあるゴミ置き場ももちろん夫と捜し歩きました。
神隠しじゃあるまいし、どこかに捨ててるか隠してると思ってたんです。

川に流してる発想はなかったし、そんなにきれいに流れていくことも知らなかったし、行き着く先が大切な田んぼだということも知りませんでした。
不法投棄!!と小学校に電話をしてきたおじいさんは同じ名前の書かれた大量のプリントやドリルを見て、

「どんな躾をしたらこんなことする人間になるんだ!!俺はここで米を作って生きてるんだ!こんなことは初めてだ!ここから出ていってくれ(引っ越してくれ)!」

と、大変な血相でした。
田舎なんで、農家の方が田んぼや畑を我が子のように大切しされていることは、みんな知っていました。
お怒りはごもっとも過ぎて、三男がしていたことが信じられなくて、正直お詫びの仕方がわかりませんでした。
頭が真っ白になるってこういうことなんだ、と今は思います。

警察官も交えた話し合いになる

おじいさんの怒りはおさまらず、近所の交番所にも連絡し、状態を見に来てもらっていました。
校長先生も用水路に駆けつけてくださり、担任の先生、支援担任の先生、校長先生、教頭先生、そしておじいさん家族と警察官2名がズラリと状況確認をしている状態です。

夫は土下座して謝っていました。

おじいさん家族に障害についての話を校長先生がして、担任の先生・支援担任の先生2人が「自分たちの指導ミスで配慮不足」と強く言い責任の所在を学校に持って行ってくれようとしました。
障害についての説明を聞いたおじいさんはまだまだ怒りをおさえきれないのに、我慢して、警察官の2人に「帰ってください」と言ってくださいました。

「昔は、ややこしい子どもはすぐにいなくなるもんだった。お姉ちゃん、あんたも一生の苦労やな。やけどな、生活かかってるから、おれの家も。これで飯食ってるんや。二度とないようにしてくれ」

怒りより気の毒そうな顔で最後は力なく言われて話し合いは終わりました。

「まだ怒りがおさまらないから言葉選びが荒くなってるだけ。子どもを産んだら苦労はみんなするもんよ」

先生方はみんなそんな風に言ってくださいましたが、わたしより夫が男泣きしていて涙も引っ込みました。
「情けない」繰り返し言ってました。
わたしはこんなとき、どうすることが一番いいのか、今も多分わかりません。
一緒に泣けばいいのか、もっと厳しく三男をしつければいいのか・・・

これが長男や次男なら、わたしの心は違ったんだろうか。

自分が泣けないのは連れ子がしたことだからだろうか。

夫よりも一緒にいる時間が長いわたしの責任なのに夫が泣くのはなぜだろうか。

この時は何にもわかりませんでした。
ただ、わたしは持病のことで相当辛い治療を幼児期からしてきていたんで、並大抵のことで人前では泣けませんでした。
夫はそれを知ってるし、わたしが泣かなくても大丈夫かなって、的外れなことをずーーっと考えていました。
現実逃避していたんだと思います。

あの日の光景は死ぬまで忘れないです。

発達障害ある子どもは反省をしないのか

現場にはもちろん、三男もいて、いつも通り泣いていましたが、果たしてこの現実をどう思い見ているんだろうと思いました。

男親が土下座までして泣いていること。
警察の方や学校の先生方みんなが頭を下げていること。
おじいさん家族の怒りと障害を知ってからの困惑っぷり。

「今回のことはきっといい薬になったはず。お父さん、あそこまでなかなか出来ないよ。変わってくれますよ」

先生はみんな、温かく言ってくださいました。
でもね、それから約1年、わたしはその用水路に夜な夜な通うことになります。

何かしらそこに捨てたら存在がなくなる。

そう思い込んでしまった三男には夫の涙もあの騒ぎも特別な意味を持ったものではなかったんです。
見つかりさえしなければ、泣けば終わる話、という感じでしょうか。
何度だって見つけてすぐに怒るを繰り返し、あそこに捨てても無駄、もちろんどこに捨ててもわたしは意地でも見つけて許さないつもりでそこからはかなり厳しく三男に接するようになりました。
プリントを捨てたら、学校に行き、同じプリントを倍出してもらい宿題としてやるように言ってもらいました。

宿題を捨てても自分が大変なだけ。

これを理解させるのに1年かかりました。
だから、こういう特性のある子どもに間違ったことを鵜呑みにさせると本当にいけません。
初動、最初が本当に肝心だと勉強した出来事でした。

 

まとめ

発達障害のタイプにもよりますが、2年生の息子には、警察官もお怒りのおじいさんも男泣きする父親も「自分の自由を奪う人」にしか見えていなくて、次は上手くやろう、と思っただけ、と6年生になった今当時の話をすると言います。
なんてやつだ、と思いますよね。
わたしも思います。

最低!!

そういうと、「うん、ほんまにそう」と答えるようになってきたからです。
こんな酷いことをして反省もせず次の手を考えるような子どもでも、6年生になると、当時を振り返り反省できるようになるかもしれないんです。
半歩の歩み、リアルタイムでわからず、5年生6年生でようやく理解できるなんてただのバカ、と思う人が沢山いるのもわかります。
わたしだって、なんて子どもだ、と思った気持ちは否定しません。

もし、いま、全く違うことで悩みぬいてるママやその家族の人がいるなら、もしかしたら月日でかなり考えが変わるかもしれないと思ってほしいんです。
無責任なことは言えません。
絶対かどうか、わたしも最近答えが出たばかりですからわかりません。
「自分は最低やった」と本人の口から聞けました。

特別なことはしていません。
もう意地と根気だけです。
絶対に屈しない、負けない、と思いとことん戦ったつもりです。
自分が一番と思いがちな傾向もあったんで、逐一それをつぶしていくわたしのことはさぞ憎らしくムカついたと思います。

この気持ちが沸かないくらい疲れたときは無になりました。

無になってじっとしていました。
力を蓄えるとか、そんな風にすら思ってなくて単なる現実逃避だったと思います。
もう見たくないって気持ちでした。

そうなってもいいと思います。
結果、うちは今やっと物事の善悪判断ができるようになったかもしれないんです。
まだまだ油断はしません。
中学になれば違った悩みがきっと出てきます。
その時に、今度は自分一人でなんとかできるぐらい強くなりたいって思っています。